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合成の誤謬を打破する


−合成の誤謬−
あまり聞き慣れない言葉だと思うのですが、意味は
「ミクロの視点で正しいことでも、それが合成されたマクロの世界では、かならずしも同じ理屈が通用しないことを指す経済学の用語」(※ウィキペディアより引用)


と、いうもので、わかりやすい例えでいうと少子化、リストラなんかはその類いです。


少子化でいうと個々人単位の既婚者男女においては子供がいないということは、経済的なメリットが発生しますが、国レベルでみると国力が減退するといった現象が発生します。
リストラも企業単位でみれば利益確保という側面においてメリットが発生しますが、リストラで失業者が増大すればその国の経済力は減退するといった現象が発生します。


この言葉を知ったのは、インターネットが日本に台頭し始めた8年くらい前でしょうか。。。
確か新聞で知った言葉です。
”なるほど” と思ったとともに私はこんな事を思いました。
(私の好きなイメージングです。やもすると妄想かもしれませんが。。。)


”現代人全体の教養・知能レベル(内容の良し悪しが錯綜しますが)が50年前以前よりも格段に上がっているんだなー 
それに拍車をかけるのは、インターネットなんだろうなー
なぜならば、教養も知能(知力)もすべては情報が形成するからなー
基本的に人間は、知力が高まれば自身を中心にメリット(やもすると身勝手な)があることを優先に行動する生き物だから、この合成の誤謬という現象は必然だなー 
ただ、軸がないまた物事の本質がわからない人間が情報のシャワーに打たれ続けられると処理能力が伴わないから下手をすると多くのそして根深い歪みが発生する可能性が世の中どんどんでてくるなー
そういった意味においては、インターネットは劇薬的要素(良薬にも毒薬にもなりえる)をはらんだ産物だなー” と。


あれから8年、 今 思うのは  ”人間捨てたもんじゃない”  という気持ちです。
なぜなら環境問題したり少子化問題したり世界レベル、国レベルで物事を考えハンドリングしていく人間が、ここ一番ちゃんと生まれ出てくるということを感じるからです。
ただ、問題になるのはここ一番のイノベーターが よりよい社会作りを志向し行動するマジョリティーを形成できるか?ということです。
これは、一種経営感覚とか経営バランス的な資質がものをいうような気がします。
情と理(利)の仕組み作りですね。


そして、今よりも更に全体の教養・知能レベルを高め(=知徳 という言葉が適切でしょうか)マクロレベルで物事を考え行動できる人間をより多く育成・輩出(=質の高い教育を)していくことがこれからものすごく大事な取り組みになってくると考えます。


さて言う私は、、、と いうと


ペルソンという会社・組織・仲間を通じて、講演(講演依頼.com)という仕事を媒介に自身の軸である万物時喜を持って、社会における合成の誤謬を打破していきたいと真剣に思い、生きています。


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