企業様の主催された、京谷和幸さんの講演会に同行させて頂きました。
人とのつながりを大切にされている京谷さん。
人・本・出来事・映像などとの出会いによって
41年間自分が生かされていると冒頭に語っておられました。
・サッカーとの出会い
・車いすバスケとの出会い
・妻との出会い
・事故との出会い
京谷さんの講演の骨子は大きく上記の4つです。
京谷さんの元々の夢はプロ野球選手だったそうです。
バスケは、ただ好きで始めたわけでもなく、
その時の環境で野球が小学校3年生からしかできなかったため、
野球をすることを小学校2年生であきらめ、
先生からの後押しで「足が早いから」という理由だけでサッカーを選んだ京谷さん。
褒められる→頑張る→褒められる→頑張るの繰り返しで
どんどんサッカーに打ち込むようになり、
スペインW杯の西ドイツ×フランス戦を見て、
リトバルスキー選手に憧れ、その時に初めて
サッカー選手になることが「夢」から「目標」へと変化していきました。
高校1年の時、10番をつけて試合に出れなかったらサッカーをやめると母親に約束。
現実は厳しく、最初に手渡されたのは背番号「13」。
そこから根拠のない自信でエースの証である背番号「10」を勝ち取りますが、
背番号「10」を勝ち取った喜びよりも、まだ自分はサッカーを続けてもいいんだ、
という喜びの方が強かったようです。
しかし、高校2年生の時には日本ユース代表と五輪代表に
選出される実力を持ち合わせていたが、
プロになった瞬間に自分には「夢」や「目標」がないことに気づかされ、
サッカーがただこなすだけの「仕事」になり、好きなものが好きでなくなり、
楽しいものが楽しくなくなっていったそうです。
その後、交通事故により脊髄損傷になり車椅子生活となります。
そうした京谷さんにとっての「事故」という1つの出会いが
その後の京谷さんの考え方、そして人生そのものを大きく変えていったと言います。
「あたりまえ」のことが「ありがたい」という感謝の気持ちに変わっていく。
そして、奥様との結婚を機に「決断」「覚悟」「決意」をすることで
「感謝」の先の想いに気づき、車椅子でできるスポーツを探した結果、
車椅子バスケットボールの道へと進まれます。
小さなことをやり続ける勇気が「自信」につながっていると
京谷さんはおっしゃっています。
「がんばれ」というのは「頑張れ」ではなく「顔晴れ」ということを
最後に聴講者に力強い向けてメッセージを残されました。
本当の「感謝」というものが何なのかを考えさせられる京谷さんの講演会を
皆さんも一度聴いてみて頂きたいと思います。
京谷和幸氏講演情報